小学校の研修旅行
夏の始まりの頃、とある小学校の教職員だけの旅行にお供したことがあります。
その小学校は、市立の少学校で、夏休みに入ったころの旅行です。
世間一般的には、慰安旅行ですが、世間の風体もあり、名称は「研修旅行」でした。
先輩から聞いていた話では、「小学校の慰安旅行は荒れる」との噂でした。
だが、一応名称は「研修旅行」なので、仕事の一環だろうと高を括っていました。
小学校の校庭に到着すると、すでに半数以上の20名ほどの男女がラフな格好で待ち構えていました。
少し、女性の方が多いかなぁ?という具合の人数配分です。
残りのメンバーもすでに校舎の中で待っているようで、出発までには全員揃うとのことでした。
あと、教頭先生と学年主任の女性の先生が最後だそうです。
出発までは、あと20分くらいゆとりがあり、大半のメンバーがバスに乗り込んでいます。
噂通り、バスの車内はにぎやかで、バスの座席もめいめい自由に着席されています。
私は、早速バスの前列に座っている校長先生と思しき初老の男性に挨拶に行きました。
「今回、この研修旅行のご案内を務めさせて頂きます。
◯◯旅行者、添乗員の◯◯です。
1泊2日の研修旅行を安全に、快適にご案内いたしますので、
何卒、よろしくお願い致します」
普通なら、企業などの「慰安旅行」では、3枚の祝儀の封筒を渡されます。
1枚は「添乗員」、2枚目「バスの運転手」、そして、3枚目「バスガイド」
昔のしきたりです。
今でこそ、こんな祝儀を渡す光景は、見受けられません。
ただ、私は「祝儀」を期待していたのではなく、校長先生の返しの言葉にちょっとムッときたのです。
というのも「きっちりとスケジュール通りの行程で行ってくれよ」
まれで小学校の時間割を諭すような物言いに釈然としないものを感じていました。
それから間もなく、学年主任の女性の先生が到着しました。
あと残るは、教頭先生のみですが、出発予定時間まであと15分ほどもありました。
そうこうするうちに、1台の黒のセダンが校庭に入ってきてバスの横に停車しました。
運転していたのは、年配の女性ですが、後ろの席から初老の男性が出てきて車のトランクを開けています。
そうすると多分、体育会系の男性が運ぶの手伝っています。
その箱は、まさしく缶ビールの箱が7箱、一升瓶が2本、それにおつまみを入れた袋が4袋もあります。
缶ビールの半分は、車内に積み込まれ、残りは車体横のトランクに積み込まれました
「研修旅行」の幹事である、男性の先生が、「あの人が教頭先生です。
これで全員揃いました。」と告げています。
校長先生が教頭先生に「ビールは冷えとるかね?と問うています。
早速、バス車内で宴会が始まりそうな気配です。
それにバスが出発する前から、もう既に何人かの男性の先生方は飲み始めています。
「こりゃ荒れるなぁ~」と心底感じました。
いよいよ~出発
バスは、時間通り出発しました。
まず、バスガイドが第一声、続いて私が「お礼と今回の研修旅行の行程を説明します」
その後、幹事から通り一通りの挨拶があり、最後に校長先生にマイクが回ってきました。
「え~っ、おはようございます。本日は、天気も良く、季節柄も良い日です。
今回は、皆さまの『親睦をはかるための研修旅行』です。
普段、意思疎通のはかれていない先生同士の親睦や上下関係の親睦をより深くするための研修旅行でもあります。
—-中略—-
なにとぞ、今回の研修旅行にて、皆さまの親睦がより一層深まりますことを願ってご挨拶とさせて頂きます」
何とも、お堅いご挨拶ですが、何度も、「親睦」という言葉が出てくる。
よほど、先生どうしの親睦が取れていないのか?
この「親睦」という言葉の意味が後ほどわかるのである。
やはり、予測した通り、
バス車内では酒に酔って乱れに乱れました。
何度も「おしっこ」でドライブインに停車を余儀なくされ、
その分、昼食が30分も到着が遅れ、ドライブインに電話して、昼食を遅らせてもらいました。
それぞれの予定していた観光地も遅れに遅れたのです。
それが後ろに尾を引き、最終敵にホテルへの到着が1時間も遅れてしまいました。
当然、宴会の前に温泉に入りたいだろうから、予定していた6時からの宴会を7時にずらしました。
案の定、ホテルに到着した時点で、運転手と私、添乗員を呼びつけ、校長が10分以上もクレームを言い放ったのです。
運転手が、遅れたのは「お前らのせいや!」とぶつぶつ言ってホテルに入っていったのです。
そして、7時から宴会が始まりました。
私は、添乗員として本日のお疲れ様の挨拶と、明日の日程を宴会場で説明して、
別の部屋で、運転手、バスガイド、そして添乗員の3名で食事を取っていました。
運転手からは、「学校の先生方は、よほど普段抑圧されているんだろうなぁ?
バスのなかでこれだけ荒れる客も珍しいよ」とこぼしていました。
バスガイドも「バス車内にビールをいっぱいこぼして、掃除がたいへんやった」
と悪態をついていたのです。
最後に運転手が「ホテルで問題を起こさねば良いが?」とこぼして食事は終わった。
私も、温泉に入って、ひとりだけの部屋に戻ってテレビを見ていると
その時、部屋の電話が鳴ったのです。
「あ~ぁ、校長の〇〇だが、少し話があるので、1階のフロントまで来てくれるかね」
また、お小言を言われるのかと思いつつもフロントまで降りて行きました。
フロントの端の方で、校長が椅子に座って待っていました。
「あの、悪いがなぁ、部屋をひとつ追加で取ってくれないか?
出来れば、費用のかからない部屋でかまわないから」
との申し入れだった。
校長は、教頭先生、体育の主任の3人部屋だった筈で、
他の先生方よりも広く使える部屋を当てがっていたのだが。
「どうして、もうひとつ部屋が必要なのでしょうか?」と私が問うと
校長は「ある事情があるんや、細かく聞くな!」とちょっと怒った調子で言う。
「でも、部屋が空いているかどうかは、わかりませんよ」と言うと
すぐにフロントに聞いてくれと言う。
「分かりました、聞いて来ますが、追加料金が発生するかもわかりませんよ」と言っても
「無料に出来ないか、仕方がないから、今回の研修旅行に含めておけ」と言う。
フロントに掛け合ってみると、案の定、追加料金が掛かると言う、しかし、部屋は空いているそうだ。
その旨を校長に伝えると
「しゃあないなぁ~、わからんように研修旅行費用にまとめとけ」とぶっきらぼうに校長は言って
「早う、部屋の鍵をもらってこい」と吐き捨てるように言った。
私は、しゃくに障るが、部屋の鍵をもらって、校長に渡した。
校長は、ひったくるように鍵を取り、「誰にも喋るなよ!」と凄んで帰っていった。
「これは怪しい・・・、何かある、絶対に確かめたる」
追加された部屋は私と同じ階で、私の部屋の三つ右隣だった。
部屋に戻ると
私の部屋のドアを3分の1程開けて覗いていた。
不倫発覚!
まず、浴衣姿の校長が辺りを気にしながら、入っていく。
そして、5分程あとから、小さな旅行鞄を持った浴衣姿の女性教師が入って行くのが見えた。
残念ながら、その女性教師の顔は見えなかったが、小さな旅行鞄を目に焼き付けた。
やはり、これわ不倫や。
「なんと校長先生と女性教師の不倫や」
しかし、残念ながら、当時はカメラ付きのスマホも携帯電話もなく、カメラを私は持っていなかった。
写真さえ撮れれば、翌日、校長を問い詰めたものの・・・
そのまま、どちらも出てこない。
あのハゲの校長とまだ若い女性教師が絡んでいるを思うと
むかっ腹が立つ。
何度も、その部屋の前を通り過ぎるが、さすがにドアを開けるまではしないが
蛸入道が女体に絡む付く春画を思い起こす。
「やれやれ、そのままお泊まりかい」
翌朝、朝食のために、昨日と同じ宴会場に足を運ぶと校長は疲れたような顔で朝食を摂っていた。
「さぞや、お疲れでしょう。
肩でもおも揉みしましょうか?」これは言葉には出していない。
その後、あの小さな旅行鞄を探した。
あった。
おとなしそうな、美人ではないが、ごく普通の三十代前半の女性だ。
こちらは、遠慮がちに朝食を摂っていた。
私の頭の中で
剥げたバーコード頭の校長とあの三十代の女性教師が裸で絡むシーンが思い浮かばれた。
これが、学校という閉鎖された上下関係や。
多分、あの女性教師も拒めんやったんやろなぁ~
「あの、変態校長め教育委員会に訴えたる。」と思いつつも、
そんなことしても俺には、何の得にもなれへん。
それにこれは「研修旅行」やろ、俺たちの税金から費用が出てる。
しゃくに障りながら、旅行は続き、相変わらず、帰りのバスの中は酒乱でした。
だが、帰りは予定通りの時間に学校に到着した。
何事なく研修旅行は終了
到着すると、バスから先生方が続々降りて家路に帰って行く。
あの女性教師も何事もなかったかのように帰っていった。
家で旦那さんや子供が待っているのかなぁ?それとも独身か?
それは不明であった。
そして、校長が最後に降りて来た。
手招きで呼ばれ、「今回、ご苦労様でした。
何分にも他言無用でお願いします」と挨拶する。
私は、意味ありげな目くばせで「わかっていますよ」と返した。
校長先生は、押し黙って無言で会釈して校舎に引き上げていった。
その後、旅行費用に清算に伺った折も何も問題なく、清算は終わった。
追加の部屋代も、許されない不倫に一夜も研修旅行費の中に消えた。
その精算が終わった学校を出ようと廊下を歩いていると
あの女性教師に偶然にも廊下ですれ違った。
そっと耳元で「今度、お付き合いしませんか」
それはただの想像出過ぎない。
もうひとりの私がつぶやいた一言だった。
すべてが、心の闇に葬られた。