なぜ、旅に出たくなるのだろう?
ふと、考えてみると、むしょうに旅に出たくなる瞬間は、
ひとつに現状からの逃避にありませんか?
いやなことが続くとそのいやなことの連鎖をどこかで断ち切りたいと刹那的に考えてしまいます。
でも、それで現状が変わらないことが多いのですが、見たくない映画の巻きフィルムを
ハサミでバッサリ切るように、一端そこでその現状を切って終わらせてしまいた。
旅の形態にもよりますが、特に、”ひとり旅”などのときは、
そのまま、夜行列車に乗って窓から外の景色をひとりポッりと眺めていたいのです。
窓から暗い車外を眺めていると現状と隔絶された気分となり、
窓ガラスに写った自分の顔と後ろの流れていく夜景が重なって見えます。
その夜景が素早く通り過ぎるのを見ていると「イヤなこと」が徐々に削り取られて行くような錯覚に陥り、
顔は未来に向けて、夜景である過去は後ろに流れさっていく錯覚に浸れます。
実は、この憧憬が一番の旅へのあこがれであり、目的かもしれません。
それが許されるのも、明日は身勝手な自分を演出できる贅沢な時間の浪費があるからです。
旅に出たくなる理由の二つ目が、この「時間の浪費」です。
この時間の使い方は、決して無駄な時間の浪費ではなく、自分への回帰のための絶対必要な浪費なのです。
日々、人に時間を削りとられ、自分に残された時間がわずかで、浪費しようにもできないゆとりがなくなる環境では、
この「浪費の時間」が、非常に重要な自分に戻れる時間なのです。
実は、この「時間の浪費」は、決してひとり旅ばかりではなく、家族旅行であっても有効なのです。
家族の輪の中で「時間を浪費」する。
それは、自分の持っている時間を「自分」に使うか、それとも、「家族」に使うか、の違いなのです。
その家族の部分を親しい友人に置き換えても有効です。
ただ、この「時間の浪費」はそこまでです。
それ以上に拡大させると「時間の浪費」が、ただの「時間の消費」に変わります。
そして、三つ目にどうして挙げたいのが「せつなさ」です。
特に、ひとりで旅をしていると刹那、刹那にこの「せつなさ」が訪れます。
私は、この「せつなさ」の裏に見え隠れする「人恋しさ」が旅に出たい目的のひとつです。
実は、人恋しさなのです。
人恋しさが旅を求めています。
普段の見慣れた街では、自分の殻が邪魔をして本当に見たいものや出会いたいモノにも出会えません。
だから、旅に出ると普段の自分を離れて旅という舞台に上がれます。
そこで、自分以外の役柄を演じることも出来るし、少々の嘘でも許されるかのように自分を大きく見せることも出来ます。
でも、それは真実の自分ではないので、旅が終わると、その虚実の自分も消えて胡散霧消になります。
それはそれでいいのです。
それを望んでいます。
この三つが、私の「旅」に出る理由です。