毎月、毎月、「お金」に困っていた。
よく、ツイッターなどで「借金を返すには?」とか
「お金が回る方法を誰か、教えて」とツィートしていた。
でも、これはと思う返事は来ず、
いつも「スマホでワンクリック数万円儲かる。」
「放置するだけで一日5万円が入ってくる。」
と言ったたぐいの詐欺まがいの返答だけだった。
でも、ある時、こんなツィートが入っていた。
”お寺を出て、初めてつかんだものを大切にすれば、
それが、お前をお金持ちにしてくれる。”
「このサイトをクリックしてみて!」とある。
「なんじゃこりゃ、新手の詐欺かな?」
でも、不思議と違和感を持たなかった。
むしろ、何だか温かみのある懐かしさを覚えた。
でも、すぐには、サイトをクリックしなかった。
数日後、借金で首が回らなくなった折、
藁(わら)をもすがる気持ちであのサイトが頭をよぎった。
「そうだ、藁(わら)をもすがる気持ちでクリックしてみよう。」
・・・
「皆さんは、『わらしべ長者』の昔話しをご存知だろうか?」
そこに書かれてあったのは、日本昔ばなし「わらしべ長者」の世界だったのである。
日本昔話しから引用
物語はこうだ・・・
むかし、むかし、ある若者が、お金に困り果て、お寺の観音様に
「どうか、オラがお金持ちになれますように。」とお願いをした。
すると、観音様がその者にこう告げた。
「お寺を出て、最初につかんだモノを大切にししなさい。
それが、お前をお金持ちにしてくれるだろう。」
と告げられた。
ここまでは、私と全く同じ環境だし、
神様におすがりつくのも同じ条件だった。
話しを続けると
喜んだ若者は、勇んでお寺を出ました。
しかし、勢い余ってお寺を出たとたん、石につまずき、
スッテンと転んでしまいました。
お寺の庭でころんだ若者は、ころんだ拍子に
土の上にあった一本の「わらしべ(イネの藁の芯)」を掴みました。
「観音様がおっしゃっていた最初のモノって
これのことかなぁ?」
若者は、半信半疑、その「わらしべ」を掴み、じっくりと見てみました。
「これで、オラをお金持ちにしてくれる、とは思えないがな。」
若者は、首を捻りながら歩いていると
そこに一匹の「アブ」が飛んできました。
若者はその一匹のアブを捕まえ、
さっき拾ったわらしべに、その「アブ」を繋いで遊んでいました。
そうこうすると、向こうから一台のの立派なかごに乗った子供が
そのわらしべに繋がれた「アブ」を見て、こう言いました。
「あのわらしべにつながったアブがほしいよ~」
と母親にせがみました。
母親はその「わらしべにつながったアブをくれませんかのう?」
と若者にお願いしました。
若者は、「ああ、いいとも子供にあげよう」
と言って、その「わらしべにつながったアブ」をそのまま
子供にあげました。
母親は、「わらしべのアブ」のお礼に一個の「ミカン」をくれました。
最初は、一本の「わらしべ」だった。
その「わらしべ」に若者がアブを繋いだ。
「わらしべ」が「アブのつながったおもちゃ」に変身していたのです。
つまり、その若者は、ここでアイデアを出して
自分自身で手を加え、「わらしべ」が「おもちゃ」という価値あるものに変化したのです。
その「わらしべのアブ」が「ミカン」という価値に置き換わったのです。
——–私も神様に藁にもすがる想いで「お金持ち」になりたいと念じています。
実際に、藁を拾ったわけではありませんが、「わらしべ」と「藁にもすがる想い」が
不思議と共通します。
そして、私にとって、その「わらしべ」とは、今こうして
この「わらしべ長者」の物語を書いていることです。
つまり、私の最初に掴んだ「わらしべ」は、
このように記事を作る動作だったのです。
話しを戻します。—————————————-
若者は、つぶやきました。
「わらしべ」が、「アブを繋いだわらしべ」になり、
そして今、その「アブをつないだわらしべ」が「ミカン」になった。
若者がさらに歩いていくと、道ばたに女の人がうずくまっていました。
若者は、その女の人に「どうしましか?」と声を掛けました。
すると、女の人は、
「のどが乾いて、くるしくて、うずくまっていました。」
と答えました。
若者は、水は持ってはいませんが、一個の「ミカン」を持っています。
「水は、あいにく持ってはいませんが、この『ミカン』で乾きを癒やしてください。」
と言って、「ミカン」を差し出しました。
女の人は、お礼を言って「ミカン」を食べました。
「ありがとうございます。 『ミカン』を食べて元気になりました。」
と言って、お礼に「うつくしい布」をくれました。
なんと、「ミカン」が「うつくしい布」になった。
若者が「うつくしい布」を持って歩いていると、
今度は、道ばたにウマが倒れて動けなくなっていました。
その傍らで男の人がオロオロと困り果てていました。
若者が訪ねました。
「どうしたんですか?」
「ウマが街に行く途中で倒れてしまって動けません。
街に行って「ウマ」と「うつくしい布」を交換する予定でした。
今日中に布を手に入れないとマズイことになります。 困っています。」
そこで若者は、「私が持っている布とウマを交換してあげましょうか?」
「それは助かります。 是非、交換して下さい。」
男は、早速、「ウマ」を渡して、布を喜んで持ち帰りました。
——–ここまでで3回、より価値の高いモノに交換しています。
最初に手につかんだ「わらしべ」、それに「アブ」を繋いで、
一回目の交換で「わらしべに繋いだアブ」が「ミカン」に変わった。
二回目の交換で、「ミカン」が「うつくしい布」に変わった。
三回目の交換で、「うつくしい布」が「ウマ」に変わった。
このように、金銭が介入しないけれだ、どんどんモノの価値が上がっていった。
若者は一銭も掛けずに「わらしべ」を掴み、後生大事に観音様の言いつけを守った。
ここまでの筋道で見えてくるのは、この若者の「素直さ」だろう。
素直に観音様の言いつけを守った。
そして、次に、「わらしべ」に「アブ」を繋いだことだろう。
「わらしべ」だけでは、子供は見向きもしなかっただろう。
そこに、この若者の「アイデア」と「発想の転換」が含まれている。
更に、若者が道ばたで倒れている女の人を助け、
次に、道ばた動けなくなった「ウマ」と男の人を助けた。
この時点で、「相手に対する思いやり」が見て取れる。
ここまでで3つの成功の秘訣が隠されている。 話を戻します。———————
でも若者は、その「ウマ」がかわいそうになり、水をやり、体をなでてやりました。
そうして時間が経つと、「ウマ」は徐々に元気なり、立ち上がりました。
「ウマ」が立つと、その「ウマ」は立派な体の「ウマ」でした。
若者が立派な「ウマ」を連れて歩いていると、
大きなお屋敷があり、引っ越しをしている最中ででありました。
そこの屋敷の主人が、「ウマ」を連れた若者に
「その『ウマ』をわしに貸してくれんかね。
どうしても旅に出なければならない、そこでどうしても立派な『ウマ』が必要なんじゃ。」
そして、こうも言いました
「もし、わしが3年のうちに戻らなければ屋敷と田畑はお前に譲る。」
若者は、承知して、立派な「ウマ」を屋敷の主に貸しました。
そして、その若者は、「大きな屋敷」で主の帰りを待っていました。
しかし、3年経っても主は帰って来ませんでした。
若者は、たいへん弱りましたが、主の言いつけ通り、その「大きな屋敷」を守り、
そして、田畑も耕して、大金持ちになったという昔話です。
—————-最後めで、物語を読んで———————————
決して、この若者は、人の揚げ足を取ったり、人を騙してモノをくすめるような若者ではないことです。
すべて、チャンスを掴み続け、最後は大金持ちになるという、成功の典型的な例です。
ここで感じられることは、この若者が「自分だけが」といった類の若者ではなく、
人が困っているのを助け、そして、自分の望む方向に進んで行ったことです。
一本の「わらしべ」が、最後は「大きなお屋敷と田畑」に化けた。
この話しは、価値の交換という重要な要素が含まれています。
人生は、あっさりと簡単には、このようにトントン拍子には行くはずがないが、
道を踏み外さないことです。
この話しを、子どもたちに語ると
今の子供たちには、「ちょっと辛気臭い」となるかもしれません。
徐々に上り詰めていく様が描かれていて、
シニア層の者には、「なるほど」と思える物語です。
——————-この話しは今の交換経済の仕組みも含まれています。——————-