「貧乏神に魅入られた俺が、死地への一歩手前でなぜ踏みとどまれたか?」
俺の辛く悲しい過去の歩みです。
赤裸々に語ることさえ、辛かった
本当の話です。
人生って、なんだろうって考えたことがありますか?
今まで幸せな人生でしたか?
後悔することはありませんでしたか?
実は、俺なんか、後悔することいっぱい
ありすぎなんですよ?
よく、人生って”山あり、谷あり”というじゃありませんか。
でもね、”谷あり、谷あり”で、谷ばっかり
という人生を聞いたことがありますか?
そんな苦しい過去を持つ人間って、
あなたの周りにいましたか?
小さい頃は、「パイロット」「野球選手」になるという
夢がいっぱいありましたが、どんどん消えて行き、
最後は、生きるのが精一杯みたいになったんですよ。
そして気が付いたら
「いつの間にか、ただのおっさんになっていたんや。」
「くそっ、こんなはずじゃねぇ!
人生を半分以上も過ぎたとき
本当に焦ったよ。何も手元にない。」
「貯金も、財産も、家は親が残したもんや、
俺が残したのが借金だけかいな?」
これが現実?
「こんなクソたれの人生っていつから始まったんや!」
・
・
・
- 1 実は大学時代からその兆候はあったんじゃ?
- 2 そして、迎えた入社式。
- 3 「仕事は、固い仕事が良い」と思い、 「コンピュータ関係」に転職をする。
- 4 「実は、コンピュータのことは、何も知らんかった?」 でも不思議なことに大手の会社には入れた。
- 5 子供が出来た。 「初めての子や、女の子、かわいい。」
- 6 限界か?
- 7 「自己破産しかないのか?」
- 8 「今日はヨメに話すと決めた日や、 会社も休んだ、話す内容も決めた。」
- 9 そして、相談会へ
- 10 「悩んだ、俺は守らないといけないが、 妻と子供にまで被害が及ぶ。」
- 11 子供を実家に預け、日曜日に 「いちご先生」の事務所に行った。
- 12 それからサラ金業者に一銭も返済していない。
- 13 そして、完済へ
- 14 いよいよ、定年
- 15 元に戻ってしまう~。
- 16 わざわざ、騙されに行く
- 17 なんとか生活は出来てはいるが、 本当にぎりぎりの状態は続いている。
- 18 twitterから始まる
実は大学時代からその兆候はあったんじゃ?
「平凡な大学生活だった。」
「実はクソの役にも立たなかった大学の授業」
「結局、アルバイトに追われて勉強も
ろくにやっていない。」
「これで4年生の大学卒業やて、
何が経済学部卒業や!」
「こんな学業じゃ、社会に出ても何にも役立たん。」
「ただ、4年間遊び惚けただけやないか?」
大学卒業はしたけれど、こんな後悔していませんか?
きっと、多くの方々も同じように大学へ
何をしに行ったのでしょうか?
「親に説明できますか?この大学生活のことを!」
「親は、きっと泣きますよ。
無駄金使って大学行かせて、
遊んで卒業?、金返せ!」となるわ。
大学を卒業と同時に肩まであった長い髪の毛を切り、
濃紺のスーツに身を包み、来月からは一応社会人
ずぼらな大学の生活にちょっと未練を残して会社に入社する。
就職先は、観光バスを数十台運用しているバス会社
そこの旅行部門に内定がきまり、4月から正式入社。
「なぜ、旅行社を選んだかって?」
「大学生の時から一人旅が好きで全国を
一人で旅行していた。」から
もっと言えば
「ごく、単純な理由で社会人になっても
旅行がしたい。」
そんな単純な理由だけ。
結構、学生は単純な理由で就職先を選ぶですねぇ。
後先も考えず、将来の事も考えていないことが
多いのです。
でも、知っていますか?
旅行業って、その時代の景気に敏感に反応する業種なのを?
「いや~、当時の俺はそんなことは全く考えていない。
旅行って華やかできっと女にもてるし、
ただで旅行に行ける。」ぐらいしか考えていなかった。
今から振り返れば、「なんちゅう浅はかな俺やった。」
・
・
・
そして、迎えた入社式。
「そうだ、悪夢はここから始まっていたんだ。」
約30名ほどが会社近くの公共の体育館に集まり、
社長の訓示とひとりつづ配属書を交付された。
新入社員の約半分がバスガイドの採用で
主に、九州・四国からの高卒の女の子であった。
「まだ、汚れを知らないおぼこい女の子ばっかりや」
でも女の子が半分以上もいるととても華やかで
「やった、ワクワクするなぁ~」
私の配属は、国内団体旅行部であった。
つまり、慰安旅行専門の部だった。
「慰安旅行って知っていますか?」
今はどこの会社も慰安旅行なんか行かないから
死語になったけれど、昔はどこの会社も慰安旅行
が花盛りやった。
早速、入社式が終わり、国内団体旅行部へ行き、
自分の机があてがわれた。
今日から1週間程、社内研修したのちに
先輩に連れられて営業周りをする。
旅行業といっても、普段は営業活動をして
会社への新規飛び込み営業をして、
団体客を獲得するのがもっかの仕事やった。
つまりは営業や!
最初に付いた先輩が悪かった。
「こいつのおかげで俺の人生が狂った。」
「それほど、ひどい営業やった。」
会社から営業に出ると真っ先に向かっのは、
喫茶店やった。
そこで1時間程、時間を潰し、飛込に行く。
でも、2~3件廻るだけで、あとはパチンコ屋へ。
「あの先輩は、ひどかった、あんなやくざな営業のそのままの
強引な営業だった。
それなりに営業成績は良かった。」
だから会社も無視していたんだろう?
「あの時代は、高度成長期で企業も
いけいけどんどんの時代やった。」
多くの会社は残業につぐ、残業で社員を引き留めるために
慰安旅行を半年に1度~2度と、1泊2日の旅行を実施していた。
そんなやくざな先輩との同行営業も
ただ、毎日、喫茶店とパチンコに通うと
当然、給料前にはお金が無くなっていた。
その結果
先輩に連れられて初めて”サラ金”に行った。
簡単にお金を貸してくれた。
ここからが、「俺の転落人生が始まる。」
「ほんとに後悔している。」
今にして思うと「あの先輩が一番の悪人やった。」
何も知らない俺に”サラ金”を押し付けて
仕事もええ加減なクセ付けられて
「俺の人生を潰した大悪人や、人生返せ。」
「サラ金を利用する人の大半はすぐ返せる。」
と考えているようです。
しかし、あの頃のサラ金は今より、
もっと利息が高く、雪だるまのように膨らみ
そして返せなくなる。のをご存じですか?
気を付けないといけないのは、
テレビのコマーシャルでもかわいい女の子たちが
出て来て、ダンスを踊るCMがあった。
これが当時流行っていた「円ショップ武富士のCM」
今は倒産してもうないが
「みんな、騙されたんや、あのCMで」
CMの最後にこう言うんや
「あなたの笑顔がもっと見たい、ご利用は計画的に!」
「なにが計画的にや、簡単に貸すから
みんな雪だるまみたいに借金膨れるんや」
「あのダンスを踊っていた女の子もみんな同罪や」
そして、5年後に旅行社を辞めるたが、
借金だけは付いて来た。
・
・
・
「仕事は、固い仕事が良い」と思い、
「コンピュータ関係」に転職をする。
「俺はここで借金と縁を切ろうとしたんや!」
それが某大手のコンピュータメーカーの
関連会社で情報システムの営業やった。
「もう、旅行業はあきらめた、
なぜなら、慰安旅行は一人旅とは似ても
似つかない旅行だったから。」
そうなんです。
慰安旅行は、旅行と付いているけど
実は、宴会の延長なんです。
「会社の慰安旅行って、ただの宴会旅行
こんな、実態知っていました?」
慰安旅行はスタートから「飲んで」
バスの中も「飲んで」
旅館に着いてからも「飲んで」
帰りも「飲んで」
「ずーっと飲んでばっかりの宴会の延長や」
「こんな仕事をこの先、40年も続けられへん」
と見切りをつけました。
「仕事もしない、ろくな先輩しかいない会社
この先つぶれるしかない。」と思えたのでした。
案の定、その旅行社は俺が辞めて5年後に倒産した。
そこで「コンピュータなら固いし、
これからは時代の最先端や」という思いから
転職をしました。
「借金、サラ金はそのまま引き連れての転職や」
・
・
・
「実は、コンピュータのことは、何も知らんかった?」
でも不思議なことに大手の会社には入れた。
「その頃、まだパソコンってなかったんや」
「もちろん、スマホもタブレットもあれへん、
コンピュータって大きな箱のおばけで
おまけに入力はすべて紙テープでやっていたんや。」
そうなんです。
この頃は、紙テープに穴を開けて、
それをコンピュータに読み取らせるという
原始的なもので、ものすごい大きな箱やった。
でも、大手の企業では導入が始まっていました。
とくに多かったのはIBM製で
それを国内の富士通、日本電気(NEC)、
三菱、日立などが争っていたんです。
「この頃は、営業はまじめやっていた。
毎日毎日、企業に飛び込んで、
コンピュータやソフトを売り込むんや」
「おかげでノルマはきつかったわ!
大きなシステムともなると売り込みも
長いことかかるんや」
「半年ぐらいかけて、提案をして
最後に決定や。
ここで負けたら、半年が水の泡やった。」
「だから、ストレスが激しんや、
パチンコなんか行ってる暇あれへん。」
「他社との競合では、よく提案で負けたわ。
だから、その分、数字もきつかった。
毎月、月末の会議ともなると、
ほんまに針のむしろに
座っているようなもんや。」
それなりの給与はもらっていたけれど、
借金の利息で、大半が出ていった。
「借金を返そうと必死でもがいた時代やった。」
別段、ばくちをやる訳でも
お酒もタバコも飲まない、
でもお金がなかった。
この頃には結婚もしており、
借金あるのに「どうやって結婚したか?」
「親に借金してどうにか結婚したや。」
「借金のことは、妻には内緒や
家には食費や部屋代、光熱費は
ちゃんと入れていた。」
今考えただけでも、
「この頃は辛かった。
借金を隠して仕事をする。」
「更に、妻にも借金隠しているから、
家に電話がかかってきたら。」どないしょとビクビクやった。
借金が膨らむと仕事が手に付かなくなる。
そんな状況やけれど、「耐えたわ。」
「俺の人生って借金の話しばっか!
情けない~
いつも月末に三千円で宝くじを買う。
それもジャンボ宝くじだけを10枚並びで買う。
「月末はそれをしないと心が折れるから、
せめて宝くじが当たる夢を見る。
そうでも、しなきゃやってられない。」
「どうか宝くじの神様、一等を当てて下さい。」
当たったのは三千円ぐらい、
宝くじの神様は、とうとう微笑んでくれなかった。
・
・
・
子供が出来た。
「初めての子や、女の子、かわいい。」
「子供が出来て祈ったわ、神様俺にも小さい幸せ
を恵んでくれて、ありがとう!」
まるで、背中にコブがひとつ出来たような不安や
それでいて、誇らしいような変な気持ちもある。
「あ~ぁ、子供が出来ってこういう気持ちかぁ?」
その小さな幸福感とは裏腹に借金は減ってはいかない。
むしろ、若干ながらも借金は増えているようだった。
「なぜ、こうなった、愚痴を言っても始まらないが。」
「でも、なぜ、こうなった。俺はいつもアホばっかりや」
出だしが悪かった。
社会人になり、すぐについて先輩が遊び人だった。
「あの時、針がすべてがマイナスの方向を向いたや。」
「人の性にするんじゃないが、最悪の指導やった、
むしろ、無かった方が良かったんや」
「子供が出来たことでお金が要った。
それも借金やった。」
ここ何ヶ月かは月末の支払いが厳しくなってきてる。
どっかで弾けてしまうのではとハラハラしてる。
借金が借金を生み出す構図や
「ときどき、ニュースで流れている。
借金の果ての自殺やったり、一家心中やったり。」
「やめてくれ、子供が出来たとこなのにそんな不吉な考え」
でも、月末になるとビクビクしている。
借金の催促や取り立てを恐れている。
「給料もこれ以上上がらんし、ボーナスも期待できん。
どうしたものか?」
・
・
・
限界か?
「ヨメに言おうか? いや~言えないわ!」
「もう、おふくろに借りるのも限界や、
友人もこれ以上貸してくれんわ。」
「借金が全部の人間関係壊してる。
友達には、もうこれ以上頼めない!」
借金が借金を産む、雪だるまになってきた。
「サラ金って、最初からこうなるような仕組みやったんちゃうか?」
そう思えるような金利やないか?
政府はこの部分はグレーゾーンや言うとる
「グレーゾーンなら国民を守れ!」
「毎日毎日がつらい!」
「借金が減らない!」
「月末が怖い!」
どうしょうもなく、俺はこのまま終わるのか?
何か、いい手はないものか?
営業活動しているようで、
毎日、街中をウロウロと歩いてるだけや
これじゃ~成績も上がらん
このまま行ったら首や!
流れるまま、地下鉄のホームへ
「一歩間違えれば、飛び込んでいたかも?」
そんな瞬間もあった。
「もう、ダメだ!」
ふと、入った本屋である本を見つけた。
「自己破産する前に読む本」
・
・
・
「自己破産しかないのか?」
ふと立ち読み気味に本を読む、
その内容は、自己破産以外にいろいろ方法を紹介している。
「そんな方法論は、あまり興味がない、完済を知りたいんや!
本の終わりに載っていた相談会の電話番号。」
「ここに相談して見よう!」
藁をもすがる気持ちで電話を掛けた。
一通り状況を話すと大阪で相談会が開かれており、
そこで弁護士や行政書士との面談が無料で受けれる
という内容であった。
ただ、前提がきつかった。
「ヨメに話すことかぁ。」
「きついなぁ~今まで隠してきたからなぁ~」
「こんなこと話したら、きっと離婚や、
子供も出来てこれからって時に!」
「なんとか内緒で処理できひんのか?」
もう一度、電話で聞いてみる。
しかし、それは絶対条件やった。
「子供の顔が浮かぶ、
ここで断ったら、あの子はどうなるんや!」
「離婚してもええ!
こんなおとんはいらんやろ。ヨメに話す。」
「でも離婚は本当はしたくない。
子供とこれからも遊びたい!」
・
・
・
「今日はヨメに話すと決めた日や、
会社も休んだ、話す内容も決めた。」
「〇〇子、話がある。」と切り出した。
声が上ずっていた、口がカラカラやった。
一気に話し出した。
過去のいきさつから、相談会までの話を
話した。
「ヨメは驚いた表情で、だまって聞いていた。」
「俺が悪かった、許してくれ!」
ヨメが話し出した。
「ヨメは、薄々知っていた、
というのも、休みの日に家にも催促の電話が
掛っていたからだ!」
そしてヨメは泣いた。
「俺も泣いた。」
ヨメから離婚の話は出なかった。
正直、話して良かったと思った。
精一杯話したら、
「胸のつっかえが取れて、清清とした気持ちやった。」
実は、
「これが最後のチャンスやったかもしれん、
このままで行ったら、ほんとの地獄を見ていた。」
その後、改めて相談会に申し込んだ。
ヨメの了解もとっていた。
・
・
・
そして、相談会へ
相談会は大阪の弁護士会館の会議室で開かれた。
会社を別の理由で休み、出掛けた。
そこにはまるで、死んだ魚の目をした男女が
数十人集まっていた。
「ぞっとした。みんなゾンビみたいや。」
「きっと俺も他人から見たら、ゾンビなんやろなぁ」
まず、全員で弁護士から自己破産とは?の話があり、
その他の処理手続きの方法があるとの説明があった。
最後に「それ相当の覚悟が必要とのクギがさされた。」
ここからが、ひとりづつ担当の弁護士や行政司法書士が付いた。
「俺の担当の人は、車いすに乗っている行政書士やった。」
これが「いちご先生」との出会い
「いちご先生」は大阪天満に事務所を持ち、
事務所を開業するときに娘さんから「イチゴ」がいいと言われ
「いちご司法書士事務所」としたそうや
この日は「いちご先生」から宿題を申しつけられた。
「今までの借金の経過と反省文」を書くようにと5枚の
書類を渡された。
更に、「これから厳しい戦いをします。
覚悟がありますか?」と聞かれ、
「やります。」と返答した。
まず、
①車を手放すこと
②メインの生命保険以外すべて解約すること
③サラ金業者からの書類・領収書をすべて提出すること
④サラ金業者に司法書士に委託したと伝えること
⑤毎月の給料の明細、食費・光熱費・他を書き出すこと
⑥奥さんに洗いざらいすべてを話すこと
⑦ぜいたく品を買わないこと
⑧ばくち、パチンコ、ゲーム類は禁止
⑨仕事中心にして旅行・外食は制限すること
⑩実家からの借り入れをしないこと
⑪サラ金から電話があっても返済しない
⑫サラ金からの要請に応じてはならない
⑬クレジットカードが申請出来なくなる
⑭分割ローンが出来なくなる
「返済計画が終わるまで守れるか?」
・
・
・
「悩んだ、俺は守らないといけないが、
妻と子供にまで被害が及ぶ。」
「どうしよう、受けずに断って自前で返済するか?」
それが出来ていたら、ここまで苦しまなかった。
「受けないと俺は終わってしまう。」
「でも、家内が何と言うか?」
そのまま二~三日、悶々と悩んだ!
どの条件も厳しいものばかりであった。
その間にもサラ金から電話が入った。
「明日中に利息入れたや!」
「今お支払いできません。」
「何寝ぼけたこと言うとんねん。
会社に取り立てに行くぞ。」
「それだけはご勘弁を!」
この電話で決心した。
その晩、妻に司法書士からの話を伝えた。
子供を寝かしつけて、延々と話し合った。
明け方近くに妻は納得した。
泣いて二人とも目が腫れていた。
翌日、受託を「いちご先生」に電話した。
今度の日曜日に奥さんとふたりで
事務所に来るようにと申しつけられた。
その日もサラ金から督促の電話が
俺は答えられないから、電話をブチと切った。
その後、何度も電話が鳴ったが、
出なかった。
自宅に戻ると
自宅にも電話があり、妻は「怖い」と
言っていた。
「いちご先生」に相談をした。
そしたら、「司法書士に相談してると伝えなさい。」と言う。
次に掛ってきた電話で伝えると
「お前、人から金借りといて踏み倒す気か?」
「すぃ、すいません。」しか言えなかった。
早く、いちご先生との面談の日曜日が
来てほしかった。
・
・
・
子供を実家に預け、日曜日に
「いちご先生」の事務所に行った。
まず、過去の借金の経過と反省文を
「いちご先生」と家内の前で読まされ、
そこから「いちご先生」から言われたのは
「なぜ、こうなったかわかりますか?」
「いえ~わかりません。」
「いや、わかっているはずや、
その態度があなたの弱点や、逃げてるんや!」
それから家内を前にして「こっぴどく怒られた。」
「もう、泣きそうや、家内に頭あがれへん。」
「いちご先生」は家内に
「これを直さないと今返済しても、いずれまた
借金を作る。 だから私は鬼の如くあなたのだんなを叱る。」
「俺は虫けらや!小さく縮こまっているだけや。」
そんな風に俺自身卑屈になっていた。
それから、これからどうしていくか。
「いちご先生」から説明があった。
一番注意されたのが、サラ金から脅されても
決して「払います」と言わないことであった。
実は、これが一番怖かった。
「自宅に来たらどないしょう。
会社に来られたらどないしょう!」
「いちご先生」はそれはないと言う、
それは法律上で出来ないのでサラ金業者の
口車には乗ってならないとくぎをさされた。
話し合いは4時間程も掛った。
ふたりともへとへとだった。
「いちご先生」は月曜日から
各サラ金業者に電話すると言った。
全てをお任せした。
・
・
・
それからサラ金業者に一銭も返済していない。
サラ金業者からも電話がかかって来なくなった。
「こんな安堵した月末は初めてや!」
いろいろあったが、「いちご先生」に相談して良かった。
毎月、一度、「いちご先生」の元に報告に行く。
「いちご先生」から「破産」ではなく
「任意整理」という方法で行く旨を伝えられる。
※任意整理とは、裁判沙汰にはせず、司法書士が
サラ金と話し合い、「利息の減免」や「返済回数」
について交渉してくれ、月々の返済を軽くする方法。
返済は残るが、いくつかのサラ金は満額返済済みとなり、
返金を受けるケースもあると聞いた。
毎月の返済額を聞いて十分返せる額なので
「任意整理」で正式に依頼しました。
「何十年ぶりかの安息の毎日や
こんなんやったら、
何で早ようせんかったんやろ!」
そこからは自粛の生活が続くが
サラ金業者からの電話もなく、安心な日々が続く
しかし、長い返済なので貯蓄までにはいかない。
返済は続くが、ここであるひとつの変化が出来た。
それは家内の視線の変化?
「なんか、他人行儀やなぁ~、どないしたん。」
妻は何も語ってくれない。
辛い試練やけど耐えるしかない。
それでも毎月、「いちご先生」の事務所を
訪れている。
そのうちに返済のサラ金業者は減り、
あと数社にまでなった。
「いちご先生」に呼ばれた。
・
・
・
そして、完済へ
「よく耐えましたね。あともう少しです。」
「なぜ、私が奥さんを呼んだか?車を手放せと言ったか」
「実は、奥さんに秘密で整理することも出来た。
車を手放さなくても出来た。
しかし、それをやると貴方は、また借金を作ってしまう。」
「ここで気を抜いたら、水の泡や、最後までやりきるんや!」
感動した、ここまで思ってくれて、親身になってくれた。
「いちご先生」は、初めて自分自身の話をした。
「私は、平成17年の福知山脱線事故の被害者や、
脊髄損傷して車椅子の生活や、裁判は続いている。
「あの時、3両目に乗っていたから、助かった。
でも、この通りや、あの電車に乗っていたのも運命や!」
「でも、あんたのは違う、悪いのはあんたでもあり、
サラ金のグレーゾーンでもある。」
「サラ金のグレーゾーンは悪や
あのグレーゾーンのおかげで多くの人が不幸のどん底や、
私はそれが許せんのや、だからひとりでも多くの人を
助けたる。グレーゾーンを無くすために尽力する。」
「ええ~先生に出会えて良かった。
苦しかった、数年が蘇ってきた。」
やっと普通の暮らしが出来ていた。
家内との関係はギクシャクしたままであったが、
お互いに言い出さない。暗黙の了解であった。
「いちご先生」からすべて完済した旨の連絡が
来たのはそれから数ヶ月も後だった。
もう、「いちご先生」の元に行くこともない。
しかし、返済の性で貯金は全くなかった。
ふと気づくと定年間近まで来ていた。
しかし、次の魔の手が迫っていた。
・
・
・
いよいよ、定年
会社から残ってもいいとの返答をもらっていたが、
嘱託扱いで給与が約半分でボーナスは無し、
役職もなしとなり、総務の仕事へ変わってくれ
というものだった。
「なめとんのか!長年働いてこらか?
辞めたる、独立したる。」
「会社って、一体何だろう?
数十年間働いて最後に残るのは『お金』
だけか?人脈も権威も会社を辞めると
全て消えてただのおっさんか?」
「今まで営業やって来て総務はないやろ?
辞めさすためのただの口実に過ぎない。」
事実、この誤に会社を辞め、
以前から懇意にしていた八尾の工場の
社長の元に協業することにした。
なぜ、会社を辞めてまでこちらに転職したか?
それは会社員時代の借金にある。
「俺は今まで家族に贅沢をさせらていない
贅沢な暮らしをあげてなかったんや」
そうや「何も自分は残していない?
お金も痕跡も何もなかった。」
この反動が定年退職後に出てきた。
八尾の社長との協業は「切削ソフト」の
販売権の獲得であった。
退職金を賭けての起業であった。
そして、連日、大阪、兵庫、京都と
工場を営業して回った。
お前「起業、社長になってみたかっただけちゃうか?
そんなんで売れるかい?」
「売れない、なぜ、売れない?」
努力が足らないのか?
それとも売り方が悪いのか?
悩んだ、このまま進んでも
ジリ貧か?
半年間、営業で回ってわかったことは、
「このソフトは切削の初歩段階のもんや。
ベテランの職人がいる工場では、
このソフトは必要ない。」
という結論だった。
撤退するなら早い方が良い。
八尾の社長に辞めることを告げる。
社長からは「何の謝罪もない、
しかし、お金は返してくれないかった。」
「アホな俺、早速失敗してもた!」
仕方なく、仕事口を探すより他なかった。
・
・
・
元に戻ってしまう~。
「今は60歳をあっと言う間に超えてしまっていた。
正社員の口なんかはない、アルバイトで探す。」
そこで引っかかったのは、病院の非常勤職員の
アルバイトだった。
最初は、看護師の勤怠、資料作りの雑用から始まった。
それも週休三日制なので体は楽、しかし、給与は安い。
ますます、「稼がなければ」とい気持ちが強くなっていた。
「病院の仕事はめちゃ楽、月~木までやし、
朝9時からで夕方は5時までで残業もない。」
「ほんまに、給与安いわ!生活もぎりぎりや!」
だから、余計に焦っていた。
そんな時、一通のメールがあり、
それはよくあるアフィリエイトのお誘いメールだった。
しかし、気になっていたので詳しく読むと
それは「アフィリエイトスクール」のお誘いであった。
まず、最初に浮かんだのは
「アフィリエイトスクールって儲かるのかな?」
今、この時期は退職金を半分無くしたこともあり、
騙されやすい時期と自覚しているだけにヤバい。
メールを読むとどうしても、稼げるような気になってくる。
それに一流ホテルの会議室かぁ?
「半分、行ってみる気になっている。」
「俺って、騙されやすい性格やなぁ~」
「俺の性格って乗りやすく、覚めやすい性格やから、
一発で詐欺に引っかかる性分や。」
それでも、もう参加することを決めてしまってる。
ちょっと捨て身なって、「どうにでもなれ」
こんな心境になることって誰にでもあるよね?
それから、数日後には電話で申し込んでしまっていた。
・
・
・
わざわざ、騙されに行く
当日は、条件が厳しかったり、
高額であったりすれば、止めようと決めていた。
「お前、ほんまに断れるか?」
「無理ちゃうか?」
大阪梅田のヒルトンホテルの会議室には
20名弱の中年から初老の男性が集まっていた。
会議室で当アフィリエイトスクールの説明があり、
一通り聞くと「儲かりそうな気がした」
そこからは個別に個室に通され、パソコンを使い、
実際の取引画面を見せられた。
面白いように数字が右肩上がりになり、
月々に50万円以上の報酬がその画面から読み取れる。
有頂天になって、「これって誰でもできますか?」
「あぁ~当社のマニュアルさえ読めば誰にでも可能です。」
と告げられた。
しかし、まだ金額を聞いていないぞ、
「いったいアフィリエイトスクールの金額はおいくらですか?」
スクールの入学金は40万円
それにWordpressの有料テーマとスクール教材代、
それにチャットサポートで30万円
合計で70万円。
「高い~、やりたいけれど、ちょっと無理や!」
「今回は見送らせて頂きます。」
「声が小さくって聞こえんわ!」
そんなのは許されない。みたいや~
即刻、上の人が出て来て説得される。
「ちょっとした怖さもあり、やけくそで入会した。」
案の定、このスクールは偽ものであった。
マニュアルもテーマも本物ではなかった。
おまけにサポートもお粗末そのものであった。
しかし、これは詐欺には当たらない。
なぜなら、マニュアルもサポートも
一応付いているからだ。
「アフィリエイトスクールは散々やった。
ありゃ~やくざの出先機関やったらしいわ!」
「これからの70万円の支払いどうしよう?」
「今の給与じゃ~毎月は払えない、また借金するか?」
「もう、懲りたし、今の俺の信用度では
貸してくれる金融機関はないだろう。」
まずは後から分割で分散しよう。
ますます、稼がないと生きていられない。
「定年後の最大のピンチだ!」
・
・
・
なんとか生活は出来てはいるが、
本当にぎりぎりの状態は続いている。
「また、あの時の悪夢の再現かいなぁ?」
だから、断崖絶壁に立たされた心境。
いつも焦っていた。
しかし、ひとつだけ良いこともあった。
それはアフィリエイトとは稼げる副業だと
理解したことだった。
Youtubeなどを見ているとアフィリエイトは
簡単に稼げるように見える。
例えば、
「100記事書けば稼げるようになる。」
「毎日、更新すれば稼げるようになる。」
「とにかくSEOをしっかりやれば稼げる。」
「アフィリエイトなら、月100万円も夢じゃない」
単純なはっそうやった。
その間、いろいろアフィリエイトの知識は深まる。
そして稼ぐためにいろいろ手を出す。
次に「トレンドアフィリエイト」に申込むが
これこそ、毎日「トレンドな記事を書き、
毎日更新しなければならない。」
半年間で挫折する。
そして、仮想通貨の取引を申し込む。
「ミリオンチャリティ」という詐欺グループに
引っかかる。
毎月100万円という触れ込みに申し込むが
あっという間に挫折。
更に、スマホのポチポチ系のサイトを
紹介して稼ぐ、アプリプログラムに参加するも
これも実際に勧誘出来ずに挫折する。
次から次に稼ごうとするがいずれも挫折を
繰り返す。
「もう、アフィリエイトは悪徳商法だ!
まともには稼げない。 もう、あきらめよう
地道に働いてローンを返していこう。」
「俺にはアフィリエイトは無理だったんだ。
ただの俺はノウハウコレクターでしかない。」
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twitterから始まる
そんな折にTwitterである企画に出会った。
動画を見て感想をDMする企画だった。
他の人との比較もあり、不思議と熱が入った。
「これには、いい感想書いて褒められたい!」
そんあ軽い気持ちで始めたが、
いきなり主催者から叱られた。
「え~っ、違うんかい?そんなこと求めてんのか?」
これからして衝撃だった。
一層深みにはまり、負けたくない気持ちが動いた。
動画の内容は、私が知っているアフィリエイトとは
全く違っていた。
それは、
今まで、4年間を通して騙され続けた結果得た知識だった。
それが、もろくも崩れ去った。
一体どれが本物だ?
「でも、気持ちはこの動画の内容が本物だ」と告げている。
そんなときに受けたのがコンサルの誘いであった。
気持ち的には「本物のアフィリエイト」を受けたい。
師匠と電話で話をした。
「高い、今の時点では無理なんですが?」
そのあとに師匠から出た言葉
「悠久さんのやる気はそんなものなのですか?」
この言葉は俺に刺さった。
反骨精神が芽生えた。
これが決断やった。
「やろう、これが最後のチャンスだ。
全てを賭けよう。やったる!」
そこで見たものは
「今までとはまるで違う世界だった。
今までのアフィリエイトの知識が吹っ飛んだ!」
「なんや、これ
「それに加えて厳しい世界だ。
毎日がやることがいっぱいで時間が足らない。」
「睡眠時間を削ってやるしかない。
更に、仲間との競争が待ち構えている。」
「負けたくない!誰にも負けたくない!
意地でも成功を勝ち取りたい。」
そうして、見えてきたものがある。
薄っすらだが、手の届きそうなところに
見えてきた。
行く道は示してくれた。
あとは自分自身がやるだけ、
「稼げる。その思いが強くなった。」
「倒れてもいい、最後までやったる!」
それが薄っすらと見えてきた。
「まるで霧の世界で、
山頂が見えたような気持ちや!」
「もう、昔にはもどらんぞ!」